【春のお彼岸】お墓参りついでにお彼岸について調べてみた!

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こんにちは、かわよです!

春のお彼岸」ということで、お墓参りに行ってきました。
週末には妻の家のお墓へ、そして本日は父が眠るお墓に・・・。

お墓参りをするとなんだかスッキリした気持ちになりますよね?

そもそも「お彼岸」とは一体どういうものなのか、ちょっと調べてみました。

『お彼岸』とは?

『お彼岸』とは一体なんなのか?
まずは広辞苑で調べてみたところ、下記のように記載されていました。

ひ‐がん【彼岸】

①河の向う岸。生死の海を渡って到達する終局・理想・悟りの世界。涅槃ねはん。↔此岸しがん。→波羅蜜はらみつ
②彼岸会の略。
③春分・秋分の日を中日として、その前後7日間。俳諧では特に春の彼岸をいう。〈[季]春〉。→秋彼岸。

私たちが「春のお彼岸」や「秋のお彼岸」と言っているのは③番の意味で使っていますよね。
ただ、そもそもの由来は①番の「彼岸」から始まっているようです。

ではそのあたりを細かく解説していきましょう!

そもそも「彼岸」とは何なのか?

そもそも彼岸」には仏教用語で「到彼岸(とうひがん)」という意味があり、これは煩悩や迷いのある世界から悟りの開かれた世界に至ること、またはそこに至るための修行のことを指すそうです。

この悟りの境地に至ることを仏教用語では「波羅蜜多(はらみた、はらみった)」ともいい、仏教で非常に重要とされる考えになります。般若心経は正式には「般若波羅蜜多心経」というところからもこの用語の重要性がうかがえるかと思います。

この「波羅蜜多」の語源は仏教発祥の古代インドのサンスクリット語の「パーラミタ」であり、これは「彼岸(パーラム)」に「至る(イタ)」の2つの意味を持つ言葉です。

お釈迦様が「彼岸へ渡れ」と説いたとされており、この「パーラミタ」こそが幸せになるためのカギであるといったところでしょうか。

「彼岸」と「此岸」

前述したように悟りの開かれた幸せな世界が「彼岸」であるのに対して、欲や煩悩、迷いにまみれた世界のことを「此岸(しがん)」と言い、これは私たちの住む世界のことを指します。

この「此岸」のことをサンスクリット語では「サハー」といい、これを漢字で「娑婆」と表記したことから、世間の事を俗に「しゃば」というようになったそうですよ。面白いですよね~。

なぜ「岸」なのか

「彼岸」「此岸」と「岸」で表現されているのは、悟りの開かれた「彼岸」と煩悩にあふれた「此岸」との間には川が流れているとされているからです。

この川こそが「三途の川(さんずのかわ)」です。よく「亡くなった人は三途の川を渡ってあの世へ行く」と言いますが、三途の川を渡って悟りの開かれた幸せな世界へ行くということなんですね。

仏教にとっての川というのは生と死、煩悩と悟り、俗世と来世を分けるものとされているそうです。

この三途の川によって分けられているから「彼岸」「此岸」と「岸」として表現されているんですね。

なぜ「彼岸」にお墓参りをするのか?

実は「お彼岸」にお墓参りをするのは日本独自の文化だそうです。
他の仏教信仰国ではお彼岸にお墓参りをする風習はないそうなんです!

では、なぜ日本ではお彼岸にお墓参りをする風習が広まったのか、少し掘り下げて探っていきたいと思います。

「彼岸」と「極楽浄土」

彼岸のことを浄土宗や浄土真宗では「極楽浄土」とよび「人は亡くなると極楽浄土に行く」とされています。
この極楽浄土には阿弥陀如来が住むとされています。

そして、阿弥陀経でこの「極楽浄土」について下記のように記されています。

これより西方、十万億の仏土を過ぎて世界有り、名けて極楽と曰う。

つまり、「極楽」こと「彼岸」は西の方にあるとされているのです。
太陽が西に沈むように、人が行き着く先も西であるという考え方のようですね。

この浄土信仰は仏教とともに中国から伝わり、平安時代に日本中へ広がっていったそうです。
古くから仏教を信仰する人たちは日の沈む西に極楽があると信じてきたんですね。

日本におけるお彼岸のお墓参りの風習

では、日本におけるお彼岸のお墓参りの風習はなぜ広がっていったのか。

元々、日本では仏教伝来以前から先祖を供養して霊魂に手をあわせる祖霊信仰が根付いていました。
そこに仏教が広まり、西方浄土や彼岸の考えが結びつき、お墓参りをする風習が自然と広まっていったとされているそうです。

西方浄土の考え方は「太陽が西に沈むように、人が行き着く先も西である」ため、西に極楽があるとする考え方。

そして1年のうちで真西に太陽が沈む日を春分の日、秋分の日としてこの日にお彼岸のお墓参りをするように広まっていったということのようです。

日本の『お彼岸』

日本では年に2回、春の彼岸と秋の彼岸がありますよね。

それぞれ春分の日と秋分の日を中日として、前後3日間を含む計7日間のことを「彼岸」と呼ぶようです。

春分の日と秋分の日には対象が真西に沈むことから、西方浄土の考えが根付いた日本において、この日にお墓参りをする風習が広まっていったようです。

では、そもそも「春分の日」「秋分の日」とは何でしょうか?

春分の日

これもまずは広辞苑で調べてみましょう。

しゅんぶん‐の‐ひ【春分の日】

国民の祝日。3月20日頃。春分にあたり、自然をたたえ生物をいつくしむ日。もとの春季皇霊祭。

春分の日は「自然をたたえ生物をいつくしむ日」なんですね!
皆さん、知っていましたか?

秋分の日

では、秋分の日はどうでしょうか。

しゅうぶん‐の‐ひ【秋分の日】

国民の祝日。9月23日頃。秋分にあたり、祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ日。もとの秋季皇霊祭。

そもそもは秋分の日が「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ日」なんですね!

「お彼岸」は7日間

最初の説明で下記のように説明しました。

「彼岸」には仏教用語で「到彼岸(とうひがん)」という意味があり、これは煩悩や迷いのある世界から悟りの開かれた世界に至ること、またはそこに至るための修行のことを指す

そうなんです。彼岸には修行の意味合いがあるので7日間必要なんですね。
悟りの境地にたどり着くためには、修行が必要なのは当然と言えば当然のことですよね。

先ほど悟りの境地に至ることを「波羅蜜多」というと紹介しましたが、悟りの境地に至るために必要な修行として「六波羅蜜」というものが定められており、お彼岸の7日間のうち、中日である春分の日と秋分の日は祖先を偲び、それ以外の6日はこの六波羅蜜を1日ひとつずつ修めるとされています。

ただ、実際には特にこのお彼岸の中日にお墓参りをしなければならないというルールはなく、一般的にこの期間の中で都合のつくときにすればよいとされているようですね。

お彼岸が7日間とされている理由がわかりましたね!

『お彼岸』にお墓参りをしてスッキリしよう!

ということで、私は本日父の眠るお墓へお墓参りに行ってまいりました。

空は晴天で陽気もポカポカ。
お墓の掃除して、きれいなお花をお供えして、お線香を灯して、手を合わせれば、それはもう気分スッキリ。

帰りはなんだか足取りが軽く感じられましたよ!

この記事もその日のうちにサクッと書き上げることができちゃって、絶好調です。

皆さんも是非お彼岸にお墓参りをして気分スッキリしてくださいね。

この情報が皆さまの「豊かな生き方」に繋がりますように。

最後までお読みいただきありがとうございました!

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